微子第十八 微子第十八05|楚の狂接輿、歌いて孔子を過ぐ 微子第十八の05「楚狂接輿、歌而過孔子曰」についてです。なかなか興味深いエピソードです。なぜ接輿はこのような事を言ったのでしょうね。 2022.07.03 微子第十八
陽貨第十七 陽貨第十七05|公山不擾、費を以て畔く 陽貨第十七の05「公山不擾、以費畔」についてです。自分を登用する人物がたとえ小人であっても、そこで何を為すかが大事なんですね。孔子の生き方があらわれています。 2022.07.03 陽貨第十七
衛霊公第十五 衛霊公第十五05|無為にして治まる者は其れ舜なるか 衛霊公第十五の05「無爲而治者、其舜也與」についてです。舜帝の政治の在り方を褒めたたえていった言葉ですね。南面とは指導者が政治を行うのに南を向いていたことから来ています。 2022.07.02 衛霊公第十五
憲問第十四 憲問第十四05|徳ある者は必らず言あり 憲問第十四の05「有徳者必有言、有言者不必有徳」についてです。これぞまさに真理ですね。こういう考え方が論語の神髄だと思います。 2022.07.01 憲問第十四
子路第十三 子路第十三05|詩三百を誦し、これに授くるに政を以てして達せず 子路第十三の05「誦詩三百、授之以政不達」についてです。物事を知っているだけでそれを活用できなければ意味がないということですね。「論語読みの論語知らず」とも似てますね。 2022.07.01 子路第十三
顔淵第十二 顔淵第十二05|司馬牛、憂えて曰わく、人皆な兄弟あり 顔淵第十二の05「司馬牛憂曰、人皆有兄弟、我獨亡」についてです。人類みな兄弟という言葉はここからきてるのですね。 2022.06.30 顔淵第十二
郷党第十 郷党第十05|圭を執れば、鞠躬如たり 郷党第十の05「執圭、鞠躬如也、如不勝」についてです。立ち居振る舞いに人格が顕れていますね。こうしたところも人を惹きつける一端だったのでしょう。 2022.06.29 郷党第十
子罕第九 子罕第九05|文王既に没し、文茲に在らずや 子罕第九の05「文王既没、文不在茲乎」についてです。危険な目にあっても、自らの意志と受け継いだ文化を盾に奮い立つ姿は立派ですね。 2022.06.29 子罕第九