2025-03

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衛霊公第十五

衛霊公第十五20|君子は世を没するまで、名の称せられざるを疾む

衛霊公第十五20「君子疾没丗而名不稱焉」についてです。死後も称えられてこそ名君子といったところでしょうか。
憲問第十四

憲問第十四20|子、衛の霊公の無道なるを言う

憲問第十四20「子言衛霊公之無道也」についてです。適材適所で国をまとめあげていたのですね。君主が無道であっても、臣下がしっかりしていれば国が亡ぶことはないのでしょう。
子路第十三

子路第十三20|如何なるをか斯れこれを士と謂うべき

子路第十三20「何如斯可謂之士矣」についてです。「士人」は「立派な人」くらいの意でしょうか。この時代の為政者たちはそうではなかったようですね。今の日本の政治家たちも士人ではないですね。
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顔淵第十二

顔淵第十二20|士何如なれば斯れこれを達と謂うべき

顔淵第十二20「士何如斯可謂之達矣」についてです。「達」と「聞」との差を語っています。微妙なニュアンスの違いがあるようです。
先進第十一

先進第十一20|子張、善人の道を問う

先進第十一20「張問善人之道」についてです。素質があっても先人の跡を辿らなければ、その先には進めないということですね。
郷党第十

郷党第十20|寝ぬるに尸せず。居るに容づくらず

郷党第十20「寢不尸、居不容」についてです。寝るときも変にならないように気を付けていたのですね。
子罕第九

子罕第九20|之に語げて惰らざる者は、其れ回なるか

子罕第九20「語之而不惰者、其回也與」についてです。孔子の顔回への思い入れは大したものですね。顔回もまた孔子を敬い、しっかりと話を聴いていたのでしょうね。
泰伯第八

泰伯第八20|舜に臣五人ありて、天下治まる

泰伯第八20「舜有臣五人、而天下治」についてです。論語の中でもたびたび周の時代の話が出てきます。よい時代だったようです。
述而第七

述而第七20|子、怪力乱神を語らず

述而第七20「子不語怪力亂神」についてです。孔子は徳とかけ離れた話題は口にしなかったのですね。
雍也第六

雍也第六20|之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず

雍也第六20「知之者不如好之者」についてです。知・好・楽のおはなしですね。何事も楽しんでやるのが一番。
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