郷党第十 郷党第十17|君、命じて召せば、駕を俟たずして行く 郷党第十17「君命召、不俟駕行矣」についてです。お呼びがかかればすぐに馳せ参じる。普通の事かもしれませんが、なかなか実行できないのも事実です。 2025.02.26 郷党第十
子罕第九 子罕第九17|子、川の上に在りて曰わく、逝く者は斯くのごときか 子罕第九17「子在川上曰、逝者如斯夫」についてです。川の流れに世の中の移り変わりを見たのでしょうね。美空ひばりの歌にもそんなフレーズがありましたね。 2025.02.25 子罕第九
泰伯第八 泰伯第八17|学は及ばざるが如くするも、猶お之を失わんことを恐る 泰伯第八17「學如不及、猶恐失之」についてです。学問と言うのはいくらやってもやり足りないもの。学んだことを失ってしまうのを恐れるくらい励むことが大事だということですね。 2025.02.25 泰伯第八
雍也第六 雍也第六17|誰か能く出ずるに戸に由らざらん。何ぞ斯の道に由ること莫きや 雍也第六17「誰能出不由戸」についてです。孔子のもどかしさが現れている章句ですね。人は誰でも正しい道を必ず通るわけではありません。そこが孔子には納得できなかったのでしょうね。 2025.02.25 雍也第六
八佾第三 八佾第三17|子貢、告朔の餼羊を去らんと欲す 八佾第三17「子貢欲去告朔之餼羊」についてです。これもまた難しいお話です。子貢の考え方も分かりますが、孔子のように礼を重視するのも大事なことだと思います。 2025.02.19 八佾第三
為政第二 為政第二17|之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す 為政第二17「知之為知之、不知為不知、是知也」についてです。ギリシャの哲学者ソクラテスの『無知の知』と通ずる内容ですね。知っていることは知っている、知らないことを知らないと認識すること。それが即ち知るということです。 2025.02.19 為政第二
陽貨第十七 陽貨第十七16|古は民に三疾あり。今や或いは是れ之亡きなり 陽貨第十七16「古者民有三疾」についてです。古い時代の人はただ悪いだけだったものが、時を経るにつれズル賢くなっていったのでしょうね。現代においても悪知恵の働く輩が多いのもうなずけます。 2025.02.14 陽貨第十七
衛霊公第十五 衛霊公第十五16|之を如何せんと曰わざる者、吾之を如何ともすること末きのみ 衛霊公第十五16「不曰如之何、如之何者」についてです。自分であれこれと考えないような人には教えるだけ無駄ということですね。 2025.02.14 衛霊公第十五