2025-02

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子罕第九

子罕第九17|子、川の上に在りて曰わく、逝く者は斯くのごときか

子罕第九17「子在川上曰、逝者如斯夫」についてです。川の流れに世の中の移り変わりを見たのでしょうね。美空ひばりの歌にもそんなフレーズがありましたね。
泰伯第八

泰伯第八17|学は及ばざるが如くするも、猶お之を失わんことを恐る

泰伯第八17「學如不及、猶恐失之」についてです。学問と言うのはいくらやってもやり足りないもの。学んだことを失ってしまうのを恐れるくらい励むことが大事だということですね。
述而第七

述而第七17|子の雅言するところは、詩、書。執礼は皆雅言なり

述而第七17「子所雅言詩書、執禮皆雅言也」についてです。詩を読むときや儀礼の際には正しい発音で行うのが孔子流だったのですね。
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雍也第六

雍也第六17|誰か能く出ずるに戸に由らざらん。何ぞ斯の道に由ること莫きや

雍也第六17「誰能出不由戸」についてです。孔子のもどかしさが現れている章句ですね。人は誰でも正しい道を必ず通るわけではありません。そこが孔子には納得できなかったのでしょうね。
公冶長第五

公冶長第五17|晏平仲、善く人と交わる。久しくして之を敬す

公冶長第五17「晏平仲、善與人交」についてです。相手を敬う事の大切さを説いた言葉ですね。親しき中にも礼儀ありとはこの事でしょう。
里仁第四

里仁第四17|賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり

里仁第四17「見賢思斉焉」についてです。自分もこの教訓を大事にしたいと思います。
八佾第三

八佾第三17|子貢、告朔の餼羊を去らんと欲す

八佾第三17「子貢欲去告朔之餼羊」についてです。これもまた難しいお話です。子貢の考え方も分かりますが、孔子のように礼を重視するのも大事なことだと思います。
為政第二

為政第二17|之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す

為政第二17「知之為知之、不知為不知、是知也」についてです。ギリシャの哲学者ソクラテスの『無知の知』と通ずる内容ですね。知っていることは知っている、知らないことを知らないと認識すること。それが即ち知るということです。
子張第十九

子張第十九16|堂堂たるかな張や。与に並びて仁を為し難し

子張第十九16「堂堂乎張也」についてです。子張もすぐれた人材だと思いますが、曾子が言うにはまだ共に仁をなすには至らないということです。それほど仁の実践は難しいのですね。
陽貨第十七

陽貨第十七16|古は民に三疾あり。今や或いは是れ之亡きなり

陽貨第十七16「古者民有三疾」についてです。古い時代の人はただ悪いだけだったものが、時を経るにつれズル賢くなっていったのでしょうね。現代においても悪知恵の働く輩が多いのもうなずけます。
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