生き方

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述而第七

述而第七19|我は生まれながらにして之を知る者に非ず

述而第七19「我非生而知之者」についてです。先人たちの残した多くの事から学び、それをひたすら追い求めている孔子の姿が窺えます。
雍也第六

雍也第六19|人の生くるや直し

雍也第六19「人之生也直」についてです。悪い事をしていたらそれなりの罰を受けるものです。この世に生かされているのは真っ当に生きているからなのですね。
公冶長第五

公冶長第五19|三たび仕えて令尹と為りて喜色なし

公冶長第五19「三仕爲令尹、無喜色」についてです。孔子でもなかなか軽々しくは仁者と認定できないようです。それだけ仁の実践は難しいということでしょう。
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里仁第四

里仁第四19|父母在せば、遠く遊ばず。遊ぶに必ず方有り

里仁第四19「父母在、不遠遊、遊必有方」についてです。親に心配をかけないようにということですね。孝の教えでしょうか。
子張第十九

子張第十九18|孟荘子の孝や、其の他は能くすべきなり

子張第十九18「孟莊子之孝也、其他可能也」についてです。
陽貨第十七

陽貨第十七18|紫の朱を奪うを悪む

陽貨第十七18「惡紫之奪朱也」についてです。分不相応なふるまいや、甘言による秩序の乱れなどに憤りを感じた孔子の言です。正しくない行いは横行させてはいけませんね。
憲問第十四

憲問第十四18|子貢曰く、管仲は仁者に非ざるか

憲問第十四18「子貢曰、管仲非仁者與」についてです。難しい内容ですね。ただ、管仲は正しい行いをしたのだと孔子は言いたかったのでしょう。
子路第十三

子路第十三18|父は子の為めに隠し、子は父の為めに隠す

子路第十三18「父爲子隱、子爲父隱」についてです。正直さの定義の問題ですね。なかなか難しいことだと思います。どちらも正しいような気もしますね。
顔淵第十二

顔淵第十二18|季康子、盗を患えて孔子に問う

顔淵第十二18「季康子患盜、問於孔子」についてです。
子罕第九

子罕第九18|吾れ未だ徳を好むこと、色を好むがごとくする者を見ざるなり

子罕第九18「吾未見好徳如好色者也」についてです。人は誰しも色事に目をとらわれがちなものです。徳を好むより色を好む人間が多いのは仕方ないことかもしれません。
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