子罕第九 子罕第九06|君子は多ならんや、多ならざるなり 子罕第九の06「夫子聖者與、何其多能也」についてです。自分の多能なことを謙遜している孔子。これだけ尊敬されていても奢らないのが人格者ですね。 2022.07.09 子罕第九
泰伯第八 泰伯第八06|以て六尺の孤を託すべく以て百里の命を寄すべし 泰伯第八の06「可以託六尺之孤」についてです。曾子が君子の在り方についてたとえています。どのようなことでしょう。 2022.07.08 泰伯第八
堯曰第二十 堯曰第二十05|命を知らざれば、以て君子たること無き 堯曰第二十の05「不知命、無以爲君子也」についてです。命を知り、礼を知り、言を知る。それが正しい生き方だと孔子が言っています。 2022.07.04 堯曰第二十
顔淵第十二 顔淵第十二05|司馬牛、憂えて曰わく、人皆な兄弟あり 顔淵第十二の05「司馬牛憂曰、人皆有兄弟、我獨亡」についてです。人類みな兄弟という言葉はここからきてるのですね。 2022.06.30 顔淵第十二
里仁第四 里仁第四05|富と貴きとは、是れ人の欲する所なり 里仁第四の05「富與貴、是人之所欲也」についてです。正しいやり方で得た富でなければ身につかないと孔子は言います。 2022.06.26 里仁第四
堯曰第二十 堯曰第二十04|何如なれば斯れ以て政に従うべきか 堯曰第二十の04「何如斯可以從政矣」についてです。孔子は『五美を尊び四悪を屏く』ことを政の基本と考えたようです。どんな内容なのでしょう。 2022.06.24 堯曰第二十
子張第十九 子張第十九04|小道と雖ども必ず観るべき者あり 子張第十九の04「子夏曰、雖小道、必有可觀者焉」についてです。弟子の子夏が言った言葉です。「君子はあえて小さな道を行かず」どうしてなのでしょう。 2022.06.24 子張第十九
陽貨第十七 陽貨第十七04|子、武城に之き弦歌の声を聞く 陽貨第十七の04「子之武城、聞弦歌之聲」についてです。『牛刀割鶏』のもととなった論語の章句です。どういう意味なのでしょう。 2022.06.23 陽貨第十七